トップ対談 #03 株式会社シアターワークショップ 代表取締役 伊東 正示 様
トップ対談 #03 株式会社シアターワークショップ 代表取締役 伊東 正示 様
株式会社シアターワークショップ 代表取締役 伊東 正示 氏(写真 左) Talks with
ヤマハサウンドシステム株式会社 代表取締役 武田 信次郎(写真 右)
株式会社シアターワークショップ
代表取締役 伊東 正示 氏(写真 左)
Talks with
ヤマハサウンドシステム株式会社
代表取締役 武田 信次郎(写真 右)
「幕あい」とは、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。舞台に幕が下りている間のこと。このシリーズでは、ヤマハサウンドシステムが日頃お世話になっているホール・劇場の世界を牽引するキーマンの方々に、市場のトレンドやヤマハサウンドシステムへの期待などを、その仕事の「幕あい」に語っていただきます。
第3回は、劇場コンサルタントの先駆けとして、数々の劇場ホール建築に携わる、株式会社シアターワークショップ 代表取締役の伊東 正示 氏に、劇場コンサルタントをはじめたきっかけや、劇場のあり方、そして現在行っている取り組みなどについておうかがいしました。
プロフィール 伊東 正示(いとう まさじ)
早稲田大学理工学部建築学科卒。同大学院で劇場・ホールについて研究。在籍中より文化庁(仮称)第二国立劇場設立準備室の非常勤調査員として活動。1983年、香川県県民ホールの計画を機にシアターワークショップを設立。2008年日本建築学会賞(業績)受賞。一般社団法人日本建築学会、公益社団法人日本建築家協会会員。劇場演出空間技術協会(JATET)理事。劇場芸術国際組織(OISTAT)日本センター副会長、建築・技術委員会委員長。
演劇の楽しさを知ったのは、小学生の頃だった
芝居が好きだったから、
劇場を手掛けるようになった
武田:最初に、伊東さんが劇場に関わることになったきっかけを教えてください。
伊東氏:僕が小学生の頃、通っていた成城学園初等学校には、3年生から「劇」や「舞踊」の授業があって、この授業の発表会が学期ごとにあったんです。もちろんこれは役者を養成するためではなく、情操教育の一環でしたが、そういった教育を受けていたので、小学生の頃から芝居に慣れ親しんでいました。
また、「映画」という授業もあって、4コマ漫画のようなスライド劇のようなものを作ったり、6年生になると8ミリカメラを回していました。
武田:それは楽しそうな授業ですね。
伊東氏:とてもいい授業でしたね。ただ僕自身は人前で芝居や音楽をやるのは全くダメで、たいてい演出でした(笑)。6年生のときにはミュージカルを作りました。まだミュージカルが日本に定着していない時代です。当時父兄の中にいらっしゃった芥川也寸志さんが、僕たちのミュージカルのために作曲してくださったという思い出もあります。
武田:それは贅沢ですね! そんな環境で演劇や芝居の楽しさを、小学生のうちに学んだのですね。
伊東氏:はい。ですから中学、高校に進級して劇の授業がなくなっても、ずっと芝居は好きだったのでよく観に行きました。よく観たのは当時で言うと新劇、民芸や文学座などでした。一番好きだったのは劇団四季です。当時の劇団四季は、まだ今のようなミュージカルではなく、フランス演劇をメインとしていました。
武田:それだけ芝居がお好きなら、役者になろうとは思わなかったのですか?
伊東氏:なりたいと思わなかったわけではありませんが、人前が苦手だったので、絶対無理だと思い、手に職をつけようと建築家を目指しました。
「黒テント」で、異次元の特殊な劇場空間に感動
武田:その後、建築と演劇はどのようにしてつながるのですか。
伊東氏:大学は建築科で、大学院にも行き「実験劇場研究」というテーマで建築の研究をしていました。まぁ、勉強と言いながら好きな芝居を観ていただけですが(笑)。当時の演劇は小劇場が主流で、地下室や喫茶店など、劇場ではないところを使って芝居をしていました。そして、その頃夢の島で上演していた「黒テント」は、芝居も抜群に面白かったのですが、それ以上に異次元を感じさせる特殊な空間性に感動しました。テントは、2台の背中合わせのトラックの荷台に支柱のパイプを通してあって、地面に固定されていないんです。そして、1台を固定し、もう1台のトラックが動くことによって、一つの巨大な劇場空間が生まれ、その中にステージを自由に組みます。トラックの荷台には、テントの資材が積み込まれているのですが、テントを張ると荷台は空っぽになるので、そこが楽屋となったり、舞台の一部として組み込まれます。さらに、テントの幕を跳ね上げれば、テントの外側での演技も可能になるなど、既存の劇場ではできない演出がされていました。
武田:「黒テント」との出会いが、今の伊東さんのお仕事につながるわけですね。
伊東氏:そうです。大学院では「実験劇場研究(その1) テント劇場 : 建築計画」という論文をまとめ、その中で、劇を作る人の思いや、観客がどう受け止めているかも実際に黒テントでお客さまから聞き取り調査をしましたが、そこで「演劇とは舞台があって役を演じるだけではなく、お客さまが入って初めて成立する行為である」と感じました。そして、お客さまがどう見ているかが、すごく大事なことだと考え、劇場の中の演者と観客の関係性に、興味を持つようになりました。
武田:そして卒業してすぐに、劇場建築の仕事に就くのですか。
伊東氏:大学院に進んだ時、非常勤調査員という形で新国立劇場の準備室に呼んでいただき仕事をしました。そこで劇団四季の制作や舞台照明の方たちと知り合い、さまざまな劇場建築のノウハウを学びました。新国立劇場は日本初の本格的なオペラハウスを作るという試みだったわけですが、日本ではオペラハウス作りがまだ手探りだった時代であり、彼らはヨーロッパで得たノウハウを持っていたんです。彼らから舞台のことだけでなく、楽屋の化粧台の奥行き、コンセントの位置に至るまであらゆることを学びました。
武田:その後、シアターワークショップを立ち上げることになるのですか。
伊東氏:はい。設立は1983年、香川県の県民ホールの仕事をするために設立しました。香川県で県民ホールを作るという話があり、個人では県の事業に関する仕事はできないので、当時すでに3人で活動していた「シアターワークショップ」という団体を、有限会社として立ち上げました。
地元の方々の心に響く施設を作りたい
武田:シアターワークショップは、劇場コンサルタントとして公共の劇場やホールから、セゾン劇場のような民間のものまで数多くの劇場を手掛けられています。しかも、劇場を作るだけではなく、公的な施設であれば地元の方々とワークショップを開催し「なぜこの施設が必要なのか」という論議から始めると聞きました。これはそれまでの劇場作りとは違うアプローチだったのでしょうか。
伊東氏:以前の公的な劇場作りは、お隣の市や話題になったホールを摸倣しつつ、より席数が多いホールにする、ということが通例でした。そのベースにあるのは「大きい方が立派」という考え方です。でも僕たちは「地域に何が必要なのか」を地元の方々と話し合い、大きいけれど使われない劇場を作るより、本当に必要な施設を作ることが大事だと考えました。
武田:その試みの代表的な劇場を教えてください。
伊東氏:最初に手掛けたのは「コラーレ」という愛称で呼ばれている「黒部市国際文化センター」です。これは建築家の新居千秋さんが設計された施設なのですが、もともとは銀行系シンクタンクによる基本計画 がすでにありました。その計画によれば大・中・小と 3つのホールを作る予定でしたが、新居さんが地域の方にヒアリングしたところ、ホールに対するニーズは決して強くないことが分かりました。そんな状況で高度な舞台芸術を提供しても地域の方の心には響きません。それを市に伝えると、当時の黒部市長が「自分たちは素人だから、プロの意見をしっかりと聞く」と言って、僕たちの考えを受け入れてくださいました。それで地域の方と頻繁にワークショップを開き、結局基本計画からやり直しました。
武田:再検討の結果、黒部市国際文化センターは、どんなホールになったのですか。
伊東氏:大・中・小の3つのホールをやめて大ホール1つとし、残ったスペースに市民が日常的に憩える空間を作りました。地方の劇場では特別なコンサートや催しは年に数度ですが、劇場をその時だけ来る場所にするのではなく「用事がなくても来る場所」、「なんとなく集える憩いの場」にしたかったんです。
武田:「席数が多いから偉い」という考え方から「市民が憩える場所」へと転換したんですね。
伊東氏:僕がこの仕事をしているのは、自分が芝居を見て感動した体験を持っており、その体験が自分の人生を変えたからです。同じような体験をできるだけ多くの方に味わってもらいたい。そのためには日頃から劇場を親しみのある場所にしておきたかった。この業界で働いている方は、やはり舞台を見た感動体験をお持ちのはずです。武田社長も、そんな体験をお持ちではないですか。
武田:私の感動体験は高校生の頃に見た松山千春さんのコンサートでした。それまでも彼の歌は好きでしたが、生で歌を聴いた時には本当に圧倒されました。レコードと実際に生で見る体験とは全然違うものでした。そして照明や音響の装置を運ぶツアーのトラックを見て「こういう仕事があるんだ」と思いました。その時の気持ちが今につながっているのかもしれません。
伊東氏:さらに言えば、実際に舞台に立った経験がある人は、非常にいいお客さまになるんです。お芝居でもライブでも、演者とお客様の呼吸で、ステージが良くなるか悪くなるか、すごく差が出ます。一度でも舞台に立った方なら、ここで反応がほしい、ということがわかりますし、いい反応をしてくださいます。ですからいい劇場にはいいお客さまが必要なんです。
武田:最近の劇場は、市民が演じる側に立ったり、運営にも参加してもらう仕組みを作る、といったことも積極的に行われていると聞きました。
伊東氏:例えば群馬県の太田市、当時は新田町でしたが、そこに公共施設ができた際、オープニングの出し物について相談がありました。私たちはまず大勢の人が参加できるイベントを作り、そこに集まってきた人たちをコアとして展開するのがいいと考え、まちぐるみで作るミュージカルを提案したんです。ミュージカルなら芝居好き、踊り好き、歌好きがそれぞれ参加できるし、ファッション好きの方には衣裳を担当してもらうなど、様々な市民が参加できます。しかもちゃんとお金をいただけるように、しっかりした物を作ろうと指導には劇団四季のスタッフを呼び、稽古に1年半をかけました。本格的で容赦のない指導と参加した方々の頑張りで、最終的には素晴らしいミュージカルになりました。その時はたいへん感動しましたね。
「渋谷ヒカリエ」は、“育ての親”として運営にも参加
武田:シアターワークショップの事務所がある渋谷では「渋谷ヒカリエ」も手掛けていらっしゃいますね。
伊東氏:ヒカリエにはコンサルティングの段階から参加しています。これまでシアターワークショップは200館以上のホールを作り、ホールの生みの親になってきましたが、育ての親になる機会はなかったので、できれば運営も我々に任せてほしいとお願いしました。もともと芝居が好きなのだから、芝居を作りたいわけです。今携わっているヒカリエホールはビジネスユースの貸館がメインですから、まだ芝居を作るまでには至っていないんですけどね。
武田:渋谷ヒカリエの完成が2012年ですから、もう7年ほど運営に携わっているということですね。ホールに対する、ソフトとハードのワンストップソリューションですね。
伊東氏:シアターワークショップが劇場コンサルタントから、ホール運営という業界にも参入したという形になります。やっぱり、ホールについては作った人間が一番詳しいので、その能力を最大限に活かすことができます。しかも絶対ホールの悪口は言わない(笑)。
YSSは、「音で空間を作る」思想が受け継がれている
武田:伊東さんからご覧になった、ヤマハサウンドシステムの仕事ぶりはいかがでしょうか。
伊東氏:僕たちは、もともとは存在しなかった「劇場コンサルタント」という職種を開拓してきたという自負があります。だから常に、挑戦者でありフロンティアであり続けたいと思っています。そして常に新しいことを試していきたい。その時の相棒として、ヤマハサウンドシステムは頼れる存在ですし、優れた技術を持っているパートナーです。たとえばヤマハとの新たな挑戦という意味では、コンサートホールで響きを電気的にコントロールする技術が印象に残っています。
武田:AFC(アクティブ・フィールド・コントロール)や以前だとAA(アシステッド・アコースティツク)という音場創生技術ですね。
伊東氏:あるコンサートホールでの話なのですが、このホールはとてもいい響きを持っていましたが、常設のパイプオルガンを演奏するには、もっと長い残響が必要でした。それでAAのシステムで響きを電気的に伸張しています。これは小さなスピーカーを天井にたくさん仕込み、響きの成分だけをスピーカーから出すという仕組みですが、響きがスピーカーから出ていると感じられないようにスピーカーを壁向きに設置し、反響音がホール全体に自然に広がるように設定されています。反響を電気的に伸張する技術自体はヤマハの技術かもしれませんが、そのシステムを実際にホールにきちんと施工できるのは、ヤマハサウンドシステムだけで、これは素晴らしい技術力だと思います。
地域と一体となって、“文化運動”を起こすことが使命
武田:ありがとうございます。最後に、シアターワークショプの今後の夢をきかせてください。
伊東氏:劇場作りということで、私たちは常に、10年先、20年先という長期を見据えた提案をしています。これまでは多くの企画・提案を行う中で、相手が何を望んでいるかを読み、それに合わせた提案書を書くこともありました。でも、僕が還暦を迎えたときにそれをやめて、自分たちがどうしたいかを提案することにしました。例えば「ホールについての提案をしてほしい」という要望に対して、「そうではなく、まず、その町の文化環境をどうしたいのかを考えるべき」と提案します。そして、「ホールという箱を作るだけではなく、みんなが日常的に集える場所にしましょう」というような具体的な提示を行う。さらに言えば、ホールやそれ以外の日常的な空間をどう作り、それをどう運営していくのか、その組織の作り方も提案に含みます。つまりシアターワークショップの使命は、劇場コンサルタントとしてホールを作るだけではなく、運営にも関わり、地域で文化運動を起こし、住民に根付いた文化運動体を作っていくことだと思っています。それによって一人でも多くの人に感動を与えたいのです。
武田:なるほど。伊東さんのベースには、やはり、感動体験をより多くの人に味わってもらいたいという、強い思いがあることがわかり、非常に感銘を受けました。本日はありがとうございました。
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