1998年に開館した「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」は、本格的なオペラ公演に対応する4面舞台を備えた日本屈指の劇場です。このたび中ホールにヤマハの音場支援システム「AFC Enhance」と音像制御システム「AFC Image」が導入されました。これは日本の公共ホールとしては初のイマーシブオーディオシステムの常設導入となります。導入理由や運用などについて、滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 舞台技術部長 押谷 征仁 氏にお話をうかがいました。
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 舞台技術部 部長 押谷 征仁 氏(写真左)
ヤマハサウンドシステム株式会社 設計部 システム設計2課 河野 峻也(写真右)
ヤマハサウンドシステム株式会社 技術部 安田 武司
4面舞台を備えた大ホール、演劇向けの中ホール、室内楽向けの小ホールを備えた劇場
● 最初に 「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」についてご紹介ください
押谷氏:
「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」は、最大1,848席の大ホール、804席の中ホール、323席の小ホールを備えた、滋賀県で最大級のホールです。1998年に開館し、公益財団法人びわ湖芸術文化財団が管理しています。
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 舞台技術部 部長 押谷 征仁 氏
● 各ホールにはどのような特長があるのでしょうか。
押谷氏:
大ホールは日本でも数少ない4面舞台をもつプロセニアム型劇場と、走行音響反射板を使用したシューボックス型コンサートホールの2つの劇場形式を備えたホールです。4面舞台は舞台奥に回り盆をもつスライディングステージ、舞台両袖は主舞台迫りと同じ大きさのワゴンを収納していて、大がかりな舞台装置でもそのまま主舞台に移動できるので、海外オペラの公演でもオリジナルの舞台で引っ越し上演が可能です。建築音響面では生音が重視され、高い天上高やホールの独特な形状で隅々まで生音が響くように設計されています。オーケストラなどの大規模なクラシック演奏でも美しい響きが味わえます。
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 大ホール
中ホールは演劇向けの建築音響設計で歌舞伎や能の公演も行えます。音響的には台詞の明瞭さを重視した設計です。また、オーケストラピットにもなる前舞台を備え、オペラやミュージカル、バレエの上演にも適しています。
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 中ホール
小ホールは室内楽やピアノの発表会など、小編成のクラシックコンサートでの利用が中心です。地域のピアノ教室の発表会などで頻繁に利用いただいており、土曜・日曜日等においては、申し込み日からすぐに予約が埋まるほどの人気です。
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 小ホール
中ホールに既設の機器を使用して「AFC Enhance」「AFC Image」を導入
● このたび中ホールに、ヤマハの音場支援システム「AFC Enhance」、音像制御システム「AFC Image」が導入されました。導入理由を教えてください。
押谷氏:
舞台音響設備の改修を機に、中ホールの響きをサポートするために「AFC Enhance」「AFC Image」を導入しました。中ホールは演劇向きの建築音響設計となっており、多様な演出要求に対応できるよう吊りバトンが充実していますが、常設の音響反射板はありません。ただ実際には、クラッシックコンサートなど、内容によっては響きが必要なシーンがあるんです。
● 具体的には「AFC Enhance」「AFC Image」をどのように使うのですか。
押谷氏:
舞台上に音響反響板を設置しているような響きを目指しました。そのために反響板があれば鳴るはずの初期反射音を「AFC Image」で生成し、ホール全体を包み込む後部残響音は「AFC Enhance」で増強しています。
「AFC」プロセッシング部
● 「AFC Image」を使用した感想はいかがですか。
押谷氏:
「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」では必須のアイテムと思っています。当ホールでは、開館当初からヤマハの1世代目の「レベル・ディレイ・マトリックス」を使用して音場を作っていました。2世代目のシグナルプロセッサーは「DME64N」のコンポーネントで、舞台装置の形状にて聴こえにくいセリフなど舞台上の演者の声を舞台框付近でのマイクで拾い、客席内にフォローしながら音源の方向性を維持するという音像定位を行っていました。近年では、より正確に音響定位ができるイマーシブオーディオシステムが出てきたので、今回の改修で導入を検討しました。
● 数あるイマーシブオーディオシステムからヤマハの「AFC Image」を選定したのはなぜですか。
押谷氏:
一番の決め手は、既設のスピーカーやアンプを活かして導入できる「システムの柔軟性」です。ヤマハさんを含め、さまざまなメーカーさんのイマーシブオーディオシステムを具体的に検討したところ、スピーカーやパワーアンプの品番まで指定のものでなければダメだったり、常設のスピーカーを移設しなくてはならなかったりと条件があって、今回の音響設備の改修レベルでは導入が難しいものもありました。その点「AFC Image」は柔軟で、既設のプロセニアムスピーカーL、C、R、左右のサイドカラムスピーカー、ウォールスピーカー、パワーアンプをそのまま使用してテストを行い、イマーシブオーディオを構築できるということを確認して選定しました。
中ホールのスピーカーシステム
プロセニアムスピーカーL、C、R
サイドカラムスピーカー
シーリングスピーカー(新設)
「AFC Enhance」用マイクロフォン
● 音響設備改修でスピーカーの数や位置を変えるのは大変ですよね。
押谷氏:
劇場は大きな空間で、構造計算をして設計された建物なので躯体に手を入れるような改修は困難ですし、メイン系スピーカーの設置位置を変えるといった躯体に関わる工事をするとなると費用も莫大になります。今回、ヤマハの「AFC Image」は既存のスピーカー位置を保てたので大がかりな建築工事を伴わないことから、音響設備改修でイマーシブオーディオシステムを導入できると思いました。
「AFC」はタブレットでホール内の響きを実聴しながらリモートコントロールが可能
● 「AFC」システムの操作性はいかがでしょうか。
押谷氏:
操作は非常にシンプルで感覚的です。「張出舞台」、オーケストラピットを使う「オペラ」、そして「通常舞台」の3パターンの音場設定を「AFC Enhance」にてプリセット登録しています。ヤマハサウンドシステムさんに、そのリモートコントロール用のiPad画面を作成してもらいました。それによりワンタッチで音場設定のプリセットが切り変えられます。細部は客席にiPadをもっていって実聴しながら調整するのですが、視認性が良くてとても使いやすいです。演者とやりとりする場合でも効果がビジュアルで示せて助かります。
「AFC Enhance」コントロール用iPad
● 「AFC Enhance」の響きの印象はいかがですか。
押谷氏:
中ホールは本来の響きが少ないので、むやみに響かせすぎると電気音響っぽいあざとさが出てしまうと感じています。そこで、ぎりぎり自然なところを狙ってレベル設定を行い、自然で良い響きが得られました。当然、電気的な仮設反響板の用途ですので、原音である生音を生かした音作りができることもメリットです。また、国内メーカーは改良や設定変更が可能なため、一緒にモノづくりができ、今後の展開が楽しみです。
「AFC Enhance」と「AFC Image」を併用して電気的に音響反響板を作り出す試み
● ここからは、改修工事に携わったヤマハサウンドシステムのメンバーに話を聞いていきます。まず音響システム設計を担当した河野さんにうかがいますが、特に重視した点はありますか。
河野:
基本的なプランは押谷さんをはじめ劇場のみなさんで考えていただき、私はその実現が仕事でした。特に重視した点は、フォーマットの変換と同期の安定性です。改修後の音響システムは96kHz稼働を計画していたのですが、音響調整室からパワーアンプ室までの配線は既設利用となっていました。既設はMADI回線だったため改修後のオーディオネットワークに対応するのに、DanteやMADIなどいくつかのフォーマット変換が必要になりました。このような条件でも機器やシステムが安定した動作を実現するために細心の注意を払いました。
ヤマハサウンドシステム株式会社 設計部 システム設計2課 河野 峻也
● 公共ホールでは日本初の常設のイマーシブオーディオシステム、「AFC Enhance」「AFC Image」の導入となりましたが、設定、調整などでこだわった点はありますか。
河野:
押谷さんは「AFC」に「音響反響板があるように響かせたい」という明確なコンセプトをお持ちでした。これは客席の響きを増やすだけでなく、舞台上の演者の方にも響きが返ることを意味しています。初期反射音を「AFC Image」で生成した上で、ホール全体の響きを「AFC Enhance」で増強するという手法でこのコンセプトを実現できたと思っています。ただこれは当初は想定していない設定と使い方だったので、押谷さんと劇場スタッフのみなさんで実聴しつつ細かく調整しました。
● シグナルプロセッサー「DME7」も導入されていますね。
河野:
はい、「DME7」は中ホールの膨大な入出力を処理するシステムの核となるプロセッサーで、今回のシステムのポイントとなる部分です。ポテンシャルを最大限に引き出すためにコンフィグレーションを緻密に設計したことと、その動作状況を視覚的に分かりやすく示すためのPC上の操作パネルデザインにこだわりました。
● その「DME7」のパネルデザインのこだわりを具体的に教えてください。
河野:
劇場スタッフのみなさんから「DME7」の入出力メーターやON/OFFが一覧できる監視画面がほしいとの要望をいただきました。これはシステム全体の状態を把握する重要な機能なのですが、「DME7」は最大で192chという膨大なチャンネル数を持っているんです。これらをわかりやすい操作ができるような画面にデザインしたのですが、はじめたら大変で、しかしとても勉強になりました。そしてとてもやりがいがありました。
「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」のために作成された「DME7」の監視画面
具体的には複数ページに分割し、さらに色分けや配置を工夫することで直感的に把握できるように工夫しました。画面は「ProVisionaire Control PLUS」を使用したのですが、一般的なホールでは数ページで収まることが多いなか、今回は60ページにも及ぶ膨大な量を制作することとなり、私にとって初めての経験でした。また「DME7」はメインとバックアップの2台で構成しているのですが1ページでその両方を操作できるようにするなど、上手く使用できる仕組みも構築ました。今後の糧となる貴重な経験になったと思います。
音響調整室に設置した2台のシグナルプロセッサー「DME7」
● 技術部の安田さんは、開館当初から「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」を担当しているそうですが、今回の改修でこだわった点はありますか。
安田:
押谷さんとは開館当初からの長年のお付き合いで、今回の改修工事も「阿吽の呼吸」というのでしょうか、スムーズに進めることができました。今回は既存の設備を最大限に活用しながら最新のイマーシブオーディオシステムを導入するというチャレンジングな依頼でした。「AFC」と大部分が既存位置にあるスピーカー、そしてパワーアンプとの整合性をどのように取るかが重要なポイントでした。工事が完了した際に押谷さんをはじめ劇場の方々からの評価をいただき、結果的に成功したと思っています。また最終的には自然な響きに聴かせるための音響調整がポイントで、そこが我々技術者の腕の見せ所でしたが、そこもうまくできたと思っています。
中ホール音響調整室
● 押谷さん、ヤマハサウンドシステムの働きぶりはいかがでしょうか。
押谷氏:
ヤマハサウンドシステムのみなさんは、何かお願いした場合の対応力が非常に高く、特にトラブルの時などは迅速かつ丁寧に動いてくださるのでとても信頼しています。特に安田さんは開館以来26年間一緒に歩んだ同志だと思っています。今回の改修も、「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」をよくご存じの安田さんがいてくれるという安心感がありました。
● 今後のヤマハサウンドシステムへ期待することはありますか。
押谷氏:
ヤマハサウンドシステムさんには、舞台音響業界に「AFC」をもっとアピールしてほしいですね。「AFC」をはじめとするイマーシブオーディオシステムは舞台音響業界にとって非常に大きな可能性を秘めていて、現状を打破する切り札になると私は考えています。
● 最後に「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」として、今後目指していきたいことをお聞かせください。
押谷氏:
まず「AFC」についてですが、まだ、ホール全体に響きをつくり出す試みはこれからです。通常であれば、音響反響板を使用する状況ですが、中ホールのように反響板がない劇場や、演目的に幕形式にて行うクラッシック公演もあります。「AFC」によって舞台上の演奏者にも良い音響空間と、観客にも好まれる音つくりが可能になりました。建築音響ではそのような自由な音環境は作れませんが、最高のシステムを手に入れたと思っております。なにより、音の環境が悪いと舞台形状を変更しなければならず、売り止め席も増えるために収入も減る状況でしたが、運営的な改善も見込まれます。
「滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール」は滋賀県の公共施設ですが、県南の方にとっては比較的アクセスしやすい一方、県北や県西などの地域の方への貢献が難しいと感じています。そこで、アウトリーチとして小さいオペラ公演を各市町村で上演し、県全体に芸術文化の底上げをしていけるといいですね。その実現には、県内での劇場技術者の育成が必要だと考えています。県内のさまざまなホールに出かけて行って技術研修の開催、機材やシステムに関する技術共有もしていきたいと思っています。
● 本日はご多忙中ありがとうございました。
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