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第二幕 Act3
公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場
サウンド・ディレクター 石丸 耕一 様【前編】

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サウンド・ディレクター 石丸 耕一 様【前編】

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第二幕 Act3 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場
サウンド・ディレクター 石丸 耕一 様【前編】

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公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場
サウンド・ディレクター 石丸 耕一 様【前編】

第二幕 Act3 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場 サウンド・ディレクター 石丸 耕一 様【前編】

公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場
サウンド・ディレクター 石丸 耕一 氏(写真 左)
ヤマハサウンドシステム株式会社 営業部 東京営業所 営業課 齊藤 健太(写真 右)

公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場
サウンド・ディレクター 石丸 耕一 氏(写真 左)
ヤマハサウンドシステム株式会社 営業部 東京営業所 営業課 齊藤 健太(写真 右)


「Intermission(幕あい)」とは、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。舞台に幕が下りている間のこと。このシリーズでは、ヤマハサウンドシステムが日頃お世話になっているホール・劇場の世界を牽引するキーマンの方々に、市場のトレンドやヤマハサウンドシステムへの期待などを、その仕事の「Intermission(幕あい)」に語っていただきます。
新シリーズ第3回は、東京芸術劇場の「サウンド・ディレクター」石丸 耕一氏に前・後編でご登場いただきます。前編では石丸氏が舞台の音響を手掛けるようになるきっかけ、そして「トーン・マイスター」と称されるように至った経緯、さらに日本における音響業界の現状などについてお話をうかがいました。

第二幕 Act3 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場 サウンド・ディレクター 石丸 耕一 様【前編】

プロフィール 石丸 耕一(いしまる こういち)
舞台音響を辻亨二氏に、オペラの音響をボリショイ劇場元芸術監督ボリス・ポクロフスキー氏に師事し、歌舞伎座、新橋演舞場などで舞台音響に従事。現在、東京芸術劇場のサウンド・ディレクター。空間演出や立体音響を特長としたサウンドデザインでオペラ、ミュージカル、演劇、伝統芸能などの舞台公演やサラウンド作品制作を数多く手がける。日本舞台音響家協会副理事長。日本音響家協会会員。

中学の放送当番で「音を聴かせる」ことの楽しさに目覚めた

齊藤:本日は、よろしくお願いします。石丸さんは実は私の音響専門学校時代の恩師でいらっしゃるので、いささか緊張しています。

石丸氏:こちらこそ、よろしくお願いします。教え子が音響の世界で活躍しているのは、私としても嬉しいです。

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東京芸術劇場 サウンド・ディレクター 石丸 耕一 氏

齊藤:早速ですが、石丸さんが音響の世界に関わるきっかけについて教えてください。

石丸氏:音に興味を持つようになったのは中学生の時で、放送当番になったのがきっかけでした。給食の時間に音楽を流すことになり、自分がレコードを選んでかけたんです。初めて校内放送で自分が選んだ曲を流したとき、大きな衝撃を受けました。それまでも家でレコードを聴いたり、ラジオを聴いたり、テレビを観たりしていましたが、それって音に対しては受け身の状態ですよね。それが、自分が選んだ音楽を全校の何百人という人が聴くということ、つまり音に対して自分が能動的になれたことに、大きな衝撃を受けたんです。それがあまりに楽しかったので先生に頼みこんで、月ごとに当番制で変わっていく放送委員をずっとやらせてもらいました。
その後高校に入ったら放送部があったので迷わず入部しました。中学の放送室とは比べものにならないような機材があって、といっても今考えれば可愛いものでしたが(笑)、それらを好きなだけいじれるということで、いつも放送室に入り浸っていました。
また当時はディスコの時代でしたので、ディスコに通ってはひたすらDJブースに張り付いて「あのターンテーブルすごいなあ」「ミキサーもすごい」「あのツマミがいっぱい付いている機材はなんだろう」ってDJさんに機械のことを教えてもらっていました。

第二幕 Act3 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場 サウンド・ディレクター 石丸 耕一 様【前編】

ヤマハサウンドシステム株式会社 営業部 東京営業所 営業課 齊藤 健太

齊藤:私も小学校の時に放送委員会に入ってすごくワクワクしていたのを思い出しました。その後、どんなきっかけで劇場の音響の世界を目指すことになるのですか。

石丸氏:放送部で活動したり、演劇部から音響を頼まれたり軽音学部から録音やPAを頼まれたりしているうちに、高校2年生頃にはもう「音で飯が食いたい」と考えるようになりました。そして進学先を探すと、当時大学で音響の実習があるのは、日大芸術学部の放送学科と、九州芸工大学(現、九州大学芸術工学部)しかなかった。家は代々江戸っ子でしたから日大芸術学部の放送学科に入りました。
今では分かりませんが、当時日芸は、学生のうちからプロの現場にどんどん出て行って、仕事が忙しくてなって大学を中退するのが「日芸の誉れ」と言われていました。私もご多分に漏れず1年生の秋から、文化放送でラジオドラマの脚本演出やワイド番組のアシスタントディレクターの仕事を始めました。ラジオドラマの脚本を書き、自分で効果音を作り、選曲もしました。ですから音響の仕事への入り口はラジオだったんです。

お客さんの顔が見える舞台音響へ

齊藤:なぜそのままラジオ放送の世界に進まなかったのですか。

石丸氏:ある日の深夜放送をやっている時、ふと思っちゃったんですよ。「今、このラジオをどれぐらいの人が聞いているんだろう」って。ラジオってお客さんが見えませんから「もしかして今、誰も聞いていないのかもしれない」と考えたら、足元にドーンと穴が開くような気がしました。当時日芸の演劇学科の舞台公演の音響なども手伝っていて、生のお客さんに音を聴かせる楽しさを感じていたこともあって、結局ラジオの世界に行かず、舞台音響に進みました。

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齊藤:そこから舞台音響の世界に入るわけですね。

石丸氏:大学在学中から株式会社ショウビズスタジオ(現、松竹ショウビズスタジオ株式会社)という舞台音響の会社で仕事をしていました。そこは演劇の制作、興行を行う松竹株式会社の音響を主に手掛ける会社で、入社後に配属されたのが新橋演舞場でした。新橋演舞場の音響スタッフは、すぐそばの歌舞伎座で音響が必要な公演があると、歌舞伎座まで行って音響を務めたりもしましたね。
ショウビズスタジオで経験を積ませていただいた後、1990年に東京芸術劇場が新築されるに伴って明治座舞台株式会社へ移籍し、それ以降、劇場の内外でいろんなジャンルの公演のプランナーを務めるようになりました。
その後、2011年に劇場法が施行されるのに合わせて、東京芸術劇場はリニューアル工事と、創造発信型劇場へと運営の舵を切り、そのタイミングで私も運営側、東京都歴史文化財団に移籍しまして、劇場の音響の統括を務めて、現在に至っています。
プランナーとは、稽古場で役者さんや演出家と相談しながら「ここでこういう音楽を入れよう」とか「ここでこういう効果音を入れよう」といった音響プランを考え、オペレーターに指示する仕事です。舞台公演では、プランナーは自分でオペはせず、演出家の側にいて音の大きさ、音の入り方や消し方などをオペレーターに詳しく指示します。そうやって音の面から舞台公演の作品を作り上げる仕事です。

舞台音響とは「その空間で音をどう聴かせるか」が仕事の根幹

齊藤:音楽監督のようなお仕事ですね。ラジオから舞台の世界に移られて、苦労されませんでしたか。

石丸氏:かなり苦労しました(笑)。ラジオから舞台音響に来て一番驚いたのは、同じスピーカーでも場所によって音が違うということです。倉庫で鳴らした時、稽古場で鳴らした時、劇場で鳴らした時では、聴こえ方が全然違います。もちろんよい音量も全然違うわけです。「これはなんでだろうと」考えて、やっと「空間」なのだと気づきました。ラジオはスピーカーからの出音だけを考えればいい。ところが舞台には空間があって、3つの音のバランスをとる必要があるんです。1つは舞台上の生の音。2つ目は私たちがスピーカーから再生するマイクの音声、音楽、効果音など。そして3つ目は、1つめと2つめの音が空間で響いた音。この3つをどうブレンドさせてバランスをとりお客さんに聴いてもらうか。舞台音響の本質は、そこにあると思います。

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齊藤:私も前職で舞台音響、特にクラシックコンサートへ携わっていた際に、今おっしゃった「空間としての音作り」を学びました。いくら電気音響が頑張って、スピーカーからいい音を出しても、クラシックコンサートにいらっしゃっているお客さまは、再生音を聴きに来ているわけではないんですよね。むしろスピーカーを感じさせずに、どう空間に音を溶け込ませるかが大切だと学びました。

石丸氏:そうなんですよ。人は「音」を聴いているつもりでいるけど、実は違うんです。人は三次元に生きていて「空間」を聴いているんです。そこに気がついていない業界の人が多すぎる。我々はスピーカーから音を出すのが仕事ではなく、その空間でいい音を聴かせるのが仕事なんです。齊藤さんが卒業後、そんな経験をしてくれたのは本当に嬉しいなあ。
そうやって考えてみると、私たちの仕事を「音響」と呼ぶのは、まさしく言い得て妙だと思いますね。映画や放送業界では「音声さん」「録音さん」「効果さん」などと呼ぶけど、舞台の世界は「音響さん」。つまり、音と響き。この2つを常に意識して空間を聴く。これが舞台音響の本質なんだと思います。

音響スペシャリストの社会的地位を向上させたい

齊藤:「東京芸術劇場」には、いつごろから携わるようになったのでしょうか。

石丸氏:「東京芸術劇場」が1990年に新築オープンする際、オペレーターやプランナーの経験があるスタッフが欲しいという要請が私のいた会社にありました。そこで私が配属され、気がついたら32年も経っていました(笑)。

齊藤:石丸さんは、「東京芸術劇場 トーン・マイスター」という称号をお持ちですが、その言葉について教えていただけますか。

石丸氏:まず最初にお断りしておく必要がありますが「トーン・マイスター」という肩書きは、私に対しては単なるニックネームであり、私から名乗ったことは一度もありません。
ヨーロッパ、特にドイツやオーストリア、イギリスなどにおいては国が認めている確固とした国家資格です。ヨーロッパの大学には、トーン・マイスターを育成するための教育カリキュラムがあり、そのカリキュラムでは物理、電気、聴覚心理学や音響心理学などを学びます。しかも何かの1つの楽器が演奏できる必要もあります。そのカリキュラムを終えて国家試験に合格すると、将来トーン・マイスターになれるライセンスが与えられ、この資格を持ってレコード会社、放送局、劇場やコンサートホールに就職すると、基本給の上に技能給が上乗せされます。そして、放送局、劇場、コンサートホールなどで音響セクションのトップに立った人が「トーン・マイスター」と呼ばれ、収入や社会的地位が保証される。そういう仕組みになっています。
このような制度は日本には「教育カリキュラム」「ライセンス」「トーン・マイスター」の3つのうち、1つもないんです。つまり、音響に携わる人間の収入や社会的地位を保証する制度がこの国にはないんです。だから、私の「東京芸術劇場」での正式な役職名も「トーン・マイスター」ではなく「サウンド・ディレクター」です。

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私は「歌舞伎座」で学んだ「ちゃんと聴こえているけど生音にしか聴こえない」という音響の手法と、1990年と1992年にモスクワの「ボリショイ劇場」へ勉強に行って学んだオペラでの音響の技術などを活かし、ここ「東京芸術劇場」でオペラやクラシックの音響プランニングやデザインをしてきました。するといつからか海外からの方、特にヨーロッパのマエストロやソリストの方々が「あなたはこの劇場のトーン・マイスターだ」「あなたは日本のトーン・マイスターだ」と言ってくれるようになりました。最初はそれを「褒め言葉」として喜んでいましたが、仕事で「トーン・マイスター」と呼ばれる機会が増えてくると、詐称していると思われても困ると思うようになりました。私自身がそう名乗っているわけではありませんが、ヨーロッパで認められている国家資格を実際に持っているわけではありませんので。
そんな経緯があり長年、ずいぶんと座り心地の悪い思いをしてきましたが、「東京芸術劇場」が、「石丸はトーン・マイスターとして必要な全てを現場で学んで身につけており、ヨーロッパのトーン・マイスターと同等か、それ以上の仕事をしている。以上を踏まえて、「東京芸術劇場」の石丸を、トーン・マイスターと呼称することを認める」という一文を出してくれました。これで晴れてトーン・マイスターと呼ばれても問題ない状況になってすっきりしました。とはいえ、これはニックネームであってきちんとした資格ではありません。その代わりとして「東京芸術劇場 サウンド・ディレクター」という新たなポジションを作ってくれました。

齊藤:日本でもヨーロッパのトーン・マイスターのように、音響に関わる人間の立場を明確にする教育カリキュラムや国家資格制度が欲しいところですね。

石丸氏:そうなんです。だから今、トーン・マイスターと呼ばれ、その期待に日々応える立場にいる私としては、ぜひ私の今のポジション「サウンド・ディレクター」の後継者を作りたいですし、この国にそういうシステムができることを強く願っています。そして、そのために私にできることであれば、どんなことでもやりたいと思います。

齊藤:将来的には、日本の各劇場にトーン・マイスターがいて、音響のことは全て任せられる、という状況になるといいですね。

石丸氏:はい。その劇場の音響に関するすべての責任を持ち、その発言には強制力がある立場の人間が、劇場には必ず一人いるようになってほしいと思います。この「東京芸術劇場」は、たまたま東京にあり、露出度が高いので私が注目されがちではあるのですが、日本には私とおなじように仕事をされている音響さんが何人もいらっしゃいます。そういった方にももっとフォーカスがあてられるべきではないかと思っています。

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後編に続きます。

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