お世話になっている皆さまより

ヤマハサウンドシステム株式会社の10周年記念に寄せて

株式会社エス・シー・アライアンス 顧問 松木 哲志

株式会社エス・シー・アライアンス 顧問 松木 哲志 様

10周年おめでとうございます。

1946年に不二音響、1962年に三精音響設備(のちのヤマハサウンドテック)が創業し、2009年にヤマハサウンドシステムが設立、多くの支流が集まり、大きな河になり、海原を越えて行くであろう事を期待します。今日は、その一つの支流の源で出会った日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社) の方々の顔と声を思い返しながら、お話したいと思います。

1969年「合歓の郷の音楽ホール」の音響設備の計画の中で、弊社の創立者の八幡泰彦が日本楽器製造株式会社の電気音響研究室(電音研)の山口公典・五月女弘海さん達と出会いました。その後、電音研のみなさんは「ポプコン」「世界歌謡祭」「合歓JAZZ INN」等のコンサートの現場でコンサートスタッフとして関わり続け、その成果・データを会社に持ち帰り、音響学会で研究発表を行っていました。

私も1971年の第2回世界歌謡祭(1970年~1989年)からスタッフとして参加しました。電音研のスタッフと財団法人ヤマハ音楽振興会の音響スタッフ、サウンドクラフト(現エス・シー・アライアンス)のスタッフがタッグを組み、武道館でのコンサートでの諸難問を仕込み・リハーサルと並行し、7日間深夜まで音響実験を行い、解決していった事を思い出します。

スピーカーシステムの設計や現在では常識の客席全体の音圧分布の測定データの取得・補正を高価なFFTアナライザーで行い、集中・分散配置のスピーカに対してのディレイ設定等も細かく行いました。最後にはPA・録音・放送(フジTV)の音響スタッフは40人を越え、この19年間の結果は、現在のアリーナ・ドームなどでのPA・ライブ録音・放送の音響技術の基礎を築いたと思います。

世界歌謡祭 ミキシングブース
世界歌謡祭 ミキシングブース

1974年には、静岡県掛川市に半屋外の「つま恋 エキシビジョンHALL(EH)」が建設されました。「ポプコン(1969年~1986年)」が行われ、数々の音楽家が輩出された聖地です。設計時、電音研のメンバーと「これからのホールには客席内にミキシングブースを設置するか否か」を議論しました。45年前の市民会館には客席ミキシングブースが存在しておらず、当時コンサートツアーでは花道でのミキシングを余儀なく行わねばならず苦労した経験から必要性を熱く山口さんに語ったのを思い出します。常設SPは、7つのプロセニアムSPとメインステージSPが設置され、楽器毎の定位とボーカル/コーラスの定位が自由に組み合わせ出来る画期的な設計で、メインミキシング調整卓は、まだヤマハ製品ではなく東京光音電波製のオリジナル卓でした。

1980年頃から電音研は劇場の音響設計から「美濃加茂文化センター」、「アイシンワーナーハーモニーホール」、「浜北文化センター」等の音響設備を手掛けるようになり、建築音響部門と並行して走り始め、後にヤマハサウンドテックに続く支流となっていきます。

その後、山口公典さんは財団法人ヤマハ音楽振興会に移りソフトの世界にアカデミックな手法を取り入れて活躍し、五月女弘海さんは日本楽器製造の設計現場に戻りデジタル製品のパイオニアになりSPXシリーズ等の設計をしていました。

現在のヤマハサウンドシステム株式会社のDNAの中には、1970年~1980年代のミュージックシーンを牽引した人達の汗が入っている事は間違いなく、世界共通語の「音楽」の素晴らしさと自由奔放さを表現できる「場」を提供する喜びを忘れないで欲しいと思います。

「ポプコン」会場つま恋エキシビジンホール(EH)
「ポプコン」会場つま恋エキシビジンホール(EH)

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