お世話になっている皆さまより

音で空間をつくる職人たち

株式会社シアターワークショップ
代表取締役 伊東 正示

株式会社シアターワークショップ 代表取締役 伊東 正示

私がまだ大学院の学生だった頃、世の中は新国立劇場の国際コンペに向けて、オペラハウスや本格的な劇場とはどんなものなのかという勉強が始まった。そんな流れも受けながら、早稲田大学を会場として、誰でも参加できる「劇場セミナー」を始めた。早稲田の先輩たちや建築学会の委員会仲間をはじめ、芝居関係者や業界の方々もたくさん参加してくれて、その中に、三精エンジニアリング(ヤマハサウンドシステムの前々身)の江崎譲治社長も加わっていた。まだまだ20代の若造の開くセミナーにプロの方が来てくれて、いろいろ大切なことを教えていただいた。電気音響というのは声を拡声する、様々なソースの音を再生するといった程度の認識しかなかったのだが、江崎社長が語る1970年に開催された大阪万博の鉄鋼館の音作りは想像を超えるロマンだった。「音で空間をつくる」ということが、テクノロジーに裏付けられて実験されていたことは、私がちょうど1970年が大学入試の年だったので、実際に体験できなかったことが悔やまれるほど、魅力的なお話だった。

その後、シアターワークショップという会社を立ち上げ、仕事として劇場づくりをスタートし、二番目にいただいた仕事が銀座セゾン劇場のプロジェクトだった。施主側には舞台監督の三田村晴夫さんや小山内秀夫さんが入社し、次々と的確に指示をいただき計画がまとめられていったが、音響については川上福司室長をはじめとするヤマハの建築音響研究室の面々が参加し、いろいろな提案を出していた。ミュージカルのものすごく動きのあるシーンでも、目をつぶると音はちっとも動かないという課題に対し、ヤマハが解として出してきた「音像定位・音像移動」の提案が最も印象に残っている。これは、音源が役者の位置に定位するように、舞台の奥にいる人の声は奥から聞こえ、上手から下手に移動すれば音も同じ速度で移動するという視覚と聴覚を一致させるというものである。このシステムは開館までには完成できなかったが、最終的には完成したのだろうか? 結果は知らない。当時、よく打合せをさせてもらったのはヤマハサウンドテック(ヤマハサウンドシステムの前身)の鈴木叡さんと野々村豊さんだった。ふたりとも大先輩でいろいろと指導してくれた。鈴木さんには仕事の指導を野々村さんには男の生きざまを指導された記憶がある。

若い駆け出しの頃の記憶の方が、妙に鮮明に脳裏に焼き付いている。もちろん、その後もたくさんの仕事を一緒にやらせていただいて、たくさんのスタッフの皆さんにお世話になってきた。しかし、ヤマハサウンドシステムを考えるとき、まずはこの3人が浮かんでしまう。今のヤマハサウンドシステムの若いスタッフはもう知らない大先輩かもしれないが、時々は素敵な大先輩がいたことを語ってあげてください。彼らには男のロマンとか心意気のような、仕事とは直接関係ないような、いやいや一番大事なことのような、そんな不思議な力を持っていたよ。僕も60代後半だから、妙に心情的になるのかもしれないけどね。

なにはともあれ、10周年おめでとうございます! これからもたっぷりお世話になります。

 

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