ヤマハサウンドシステム株式会社

豊田スタジアム【後編】

プロサウンド的

“設備”検分録

意外とスゴイ奥深き世界

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テキスト:三村美照(M&Hラボラトリー)

愛知県芸術劇場 様

豊田スタジアム【後編】

FIRフィルターによる音響調整

前号に引き続き「豊田スタジアム」の後編をお送りします。

前編ではスピーカーや拡声方式等のアウトプット周りを中心にお送りしましたが、今回はその他機器のご説明と音響調整で使用した出力プロセッサーの解説、さらに愛知県豊田市様と「ヤマハサウンドシステム株式会社」様のご協力により最終的な音響測定データも掲載致しました。また、出力プロセッサーには今話題のFIRフィルターを持つ機種が採用されていますが、これについては次号より「超解説FIR!」と題した新特集を準備しています。できるだけ分かりやすくFIRを解説する予定ですのでご期待ください。では、「豊田スタジアム」後編、進めていきましょう。

調整卓はヤマハCL5

今回の調整卓には「ヤマハCL5」が選択されました。この調整卓に関しては発売開始から7年が経過していますので今さら細かく説明する必要はないと思いますが、「ヤマハ」のデジタルコンソール・シリーズの中では中核をなす機種です。「CL」シリーズはサーフェースサイズの違いによって3機種がラインナップされていますが、今回は最も多くのインプット数を持つ「CL5」が選ばれています。「ヤマハ」のデジタルコンソールは基本的にDanteを使ってI/Oラックの「Rio」シリーズを接続することで入出力のコネクター数やその設置場所を拡張できます。今回も32chの入力とアナログ16ch+AES4chの出力を持つ「Rio3224-D2」が調整室のI/O架に設置され(写真1)、キャリングケースに収納された可動式の「Rio1608-D2」によってフィールド内でも拡張できるようになっています(写真2)。キャリングケースにはE/Oメディアコンバーターを兼ねてスイッチ(Hub)がマウントされ、サッカーの試合等では、フィールドに持ち込んだこの「Rio」にMCパフォーマーやアナウンサーのマイクを接続し、光ケーブルでフィールド近傍に新規設置されたコネクター盤に接続されます(写真3)。光コネクターには「ノイトリック」の「OpticalCon」が使用されました。

写真1 機器架内の「Rio3224-D2」(矢印)

写真1 機器架内の「Rio3224-D2」(矢印)

写真2 キャリングケースに収納された移動型I/Oの「Rio1608-D2」とフィールドコネクター盤。キャリングケースの下側にE/O変換を兼ねたL2スイッチが見える

写真2 キャリングケースに収納された移動型I/Oの「Rio1608-D2」とフィールドコネクター盤。
キャリングケースの下側にE/O変換を兼ねたL2スイッチが見える

写真3 フィールドコネクター盤の内部。光コネクターは「ノイトリック」社の「OpticalCon」

写真3 フィールドコネクター盤の内部。
光コネクターは「ノイトリック」社の「OpticalCon」

 

ルーティングマトリックス LDM

信号の流れ的には、コンソールの後ろに接続されているのがルーティングマトリックスです。「信号の流れ的には」と敢えて書いたのは、最近のシステムブロック図を見ると、すべての機器がスイッチに繋がっているだけなので、どのように信号が流れているかが分かりませんからね! 昔は一目瞭然でしたが、今は頭を使わないと分かりません!  

今回のシステムの出力は全部で110系統もあります。正確に音響調整をするためにはすべての系統を個別に細かく調整する必要がありますが、さらに本システムでは集中分散方式と分散方式を切り換えなしで使用できるようにしています。この詳細は、前号のプロサウンド8月号(213号)の「前編」で書いていますが、簡単に言うと集中分散用と分散用に各々調整(EQやディレイ)された信号をプロセッサーの最終段でミックスしています。どちらを使うかは調整卓の各チャンネルにある出力アサインスイッチで決定します。また、これは各ソース単位で最適な再生方法を選択できるということですから、例えば迫力のある音やフィールドへのサービスが必要な音源は集中分散方式で、また明瞭性や映像とのリップシンクが必要な音源は分散方式でといった作業がパターン切替え操作なしで可能になります。  

このマトリックスには「ヤマハサウンドシステム」(以下、YSS)の「LDM1」が使用されました(写真4)。このモデル名にある「LDM」とはLevel、Delay、Matrixから取ったもので、プロセッサー部の「LAP4S-LDM」とコントローラーの「LDM」で構成されています。「LAP4S-LDM」にある“LAP”はLinux Audio Platformの頭文字であることからLinuxベースのCPUマシーンであることが分かります。入出力はすべてDanteで行ないますが、今回のようにすべてがDanteネットワークで構築されているシステムには非常に好都合ですね。  

表1にあるように「LDM」には入出力のチャンネル数の違いによって3機種が用意されており、今回使用されているものは120ch入出力の「LAP4S-LDM120」です。なお、型番の末尾にHRの付いた96kHzハイサンプリングの機種も用意されています。

表1

表1
写真4 ルーティングマトリックスの「HYFAX LDM1」。プロセッサー部の「LAP4S-LDM」とコントローラーの「LDM」で構成されている

写真4 ルーティングマトリックスの「HYFAX LDM1」。
プロセッサー部の「LAP4S-LDM」とコントローラーの「LDM」で構成されている

 

AMQ3

本システムの音響調整用出力プロセッサーは「YSS」の「AMQ3」で、信号処理部に「LDM」と同様に「LAP」が使用されています(写真5)。この機器も2つのハードウェアで構成されており、プロセッサー本体が「LAP4S-AMQ3」、操作用のI/Fが「AMQ3」です。最近のプロセッサーはこのようにLinuxベースのCPUマシーンやFPGA(用語解説1)マシーンが多くなってきましたね。  

「AMQ3」には、1台で32ch分のFIRフィルターが搭載されています。最近ではFIRフィルターを搭載するマシーンがいくつか登場していますが、この機種の際立った特徴は次の3ポイントではないでしょうか。

1)音響測定データをWAVEファイルで取込み、逆特性の自動作成とリアルタイムな補正操作が可能

2)レイテンシーが非常に短い

3)低い周波数までコントロールできる

写真5 サウンドプロセッサーの「HYFAX AMQ3」。プロセッサー本体の「LAP4S-AMQ3」とI/Fの「AMQ3」で構成されている

写真5 サウンドプロセッサーの「HYFAX AMQ3」。
プロセッサー本体の「LAP4S-AMQ3」とI/Fの「AMQ3」で構成されている

1)逆特性の自動生成

まず上記の(1)ですが、多くのFIRフィルター搭載機器ではサードパーティー等の別ソフトでインパルス応答データ(IRデータ=WAVEデータ等)から該当機器用のFIRフィルターデータを作成し、その後に機器へと流し込む操作が必要です。それに対して、「AMQ3」はIRデータを直接読み込むことができ、機器自体で目的の逆特性フィルターを作成してくれます。IRデータから得られる周波数特性の解像度は1/1oct~1/48octまで設定できるので、かなり細かな調整が可能です。また作成されたフィルターデータに通常のHPFやPEQという従来型のEQ特性も加えることができます。この部分は見た目こそ従来型のEQと変わりませんが、それも加えた全体のカーブをFIRフィルター(EQカーブ)として作成しているということですね。しかも、このフィルターカーブは聴きながらリアルタイムな補正操作が可能です!  

では、逆特性を作成する様子を今回行なった実際の調整作業を通じて見てみましょう。

AMQ3による調整の実際(1)

図1を見てください。下段は今回使用した音響調整用ソフトのSysTuneで取得したIRデータを「AMQ3」で取り込み伝送周波数特性を表示したものですが、まずこれを基にどの部分を触るか、つまりどの範囲の逆特性を作成するかを指定します。今回は50Hz~500Hzを主に調整しました。全帯域の調整を行なわない理由は、今回の空間は大きくて反射が多く風の影響を強く受けますので再現性の良い周波数範囲のみをこのFIRで調整しました。また、この帯域は明瞭性にも大きく影響する部分です。  

そしてできた逆特性カーブが上段のEQカーブですが、この中で不要な部分があれば部分的なキャンセルもできます。そしてその結果、図2のような調整データが得られました。調整の前後を比較すると非常にうまくEQがかかっていることが分かります「AMQ3」ではこのような操作を瞬時にやってくれる上にリアルタイム(聴きながら)で各ポイントの微調整ができます!

図1 「AMQ3」の画面。下側が取り込んだWAVEデータからのF特。上側がそれを元に作成したFIRフィルターカーブ

図1 「AMQ3」の画面。
下側が取り込んだWAVEデータからのF特。上側がそれを元に作成したFIRフィルターカーブ

図2 図1で作成したFIRデータによるEQ前後の比較

図2 図1で作成したFIRデータによるEQ前後の比較

 

AMQ3による調整の実際(2)

次に、今回の南側と北側のスタンドはほぼ同形状で同じスピーカー配置です。ただ南側はオープンな空間ですが北側には屋根がかかっており、同じEQを設定しても両者で随分音が違います。そこで屋根のない南側をリファレンスにして北側の特性をそれに合わせるようなEQを作成させてみました(図3)。すると、非常に近い音色になってくれました。図3は調整後の南側と北側を比較したものですが、調整した部分(50Hz~500Hz)が南北で良く重なっていることが分かります。これを従来型のEQで聴感も含めてここまで合わせ込むのは非常に時間のかかる作業です。100m以上離れた場所を何度も往復して鳴り方をチェックしなければなりませんからね。従来のことを思うと、ほぼ一発で決まった今回の作業には感動すら覚えました。

図3 南側スタンドを基準として北側スタンドのF特を近づけた様子。調整範囲では非常によく重なっていることが分かる

図3 南側スタンドを基準として北側スタンドのF特を近づけた様子。
調整範囲では非常によく重なっていることが分かる

2)レイテンシー

次に(2)のレイテンシーですが、最大で2.42msec(HRは1.71msec)とFIR機器にしては非常に短い値となっています。これは直線位相(リニアフェーズ)ではなく最小位相(最小群遅延)のFIRフィルターだからです。(…それ何?)  

なお、ここではレイテンシーはシステム全体としての遅れ、遅延はFIR部分の処理に伴う遅れを指すものとします。

3)最低周波数?

3)は、サンプリング周波数と内部処理用の単位のひとつであるタップ数に関係します。(…それ何?)  「AMQ3」は一般的な機器が1,024や2,048タップのところを16,384というタップ数で演算しています。8~16倍ですので相当多い数になります。この数は遅延と直接関連し、多くなればなるほどレイテンシーも増えてしまうのですが、最小位相のFIRとすることで最終的なレイテンシーを抑え、周波数分解能も小さく……

……と説明してきたところで、何やらよく分からない言葉が氾濫してきました! それ何のこと? 途中から頭の中に「?」がいっぱい浮かんできたのではないでしょうか?  

では、ここから少しそのFIRについて説明したいと思いますが、最初にも触れたとおり、次号から特別企画として「超解説FIR!」と題してFIRをより分かりやすく解説する特集を開始する予定です。より詳しくお知りになりたい方は是非そちらをご覧ください。

参考:逆特性を作成する時に気を付けなければならないことは、取得したインパルス応答はそのマイク位置だけのものであるということです。30cmでもマイクを移動すれば違う波形が出てきますので、データは数点取得して平均することをお薦めします。またブーストは極力行なわずカットのみで。コヒーレンスもよく見て作成された EQカーブを確認。さらにに必ずEQカーブ後には耳で確認することも忘れないようにしてください。

 

フィルター? EQ?

少し話が前後しますが、FIRの場合はEQ以外にフィルターと呼ぶ場合があります。一般的にフィルターとは、ある帯域を通過させたり抑制したりするものですから、ハイパスやローパスだけではなく、私たちがよく使う普通のEQもフィルターのひとつです。  

ここで、例えば従来のパラメトリックEQを複数のバンドを使って複雑な形状のカーブを作ったとします。では同じカーブをFIRフィルターで作る場合はどのようになるのでしょうか? 「AMQ3」のところでも触れましたが、FIRではそのカーブ全体をひとつの形のフィルターとして作成します。つまり従来のEQのように幾つかのバンドを使って作るというイメージではありません。別の言い方をすると、周波数・Q・ゲインという概念がありません。複雑なカーブもひとつの形のフィルターとして扱うのです。  

う~ん、何となく分かったような、まだ分からないような…。

超解説FIR!序論

ここからの部分は次号からスタートする「超解説FIR!」を少しだけ先行して転記しました。  
皆さんはFIRフィルターについて次のような疑問を持ったことがありませんか?

・そもそも「FIR」って何?

・FIRはレイテンシーが多いの?

・FIRは低い周波数を操作できないの?

・遅延と最低周波数には関連がありそうだが…等々  
また、関連の記事を読んでいると良く出てくる言葉として、

・畳み込み? インパルス応答? タップ数?  
さらに、勉強を進めていくと出てくる疑問点として、

・タップ数とサンプリング周波数と周波数解像度と遅延の関係は?

・FIRではアナログで実現不可能な特性(位相だけの操作とか)が作れる? 何故? どういうこと?

「FIR」って何?

「FIR」はFinite Impulse Responseの略称で、日本語では有限インパルス応答と呼ばれます。有限?「有限」があるなら「無限」があるの?・・・これがあるのです! 無限インパルスレスポンス、英語で表記するとInfinite Impulse Response。これを略すと「IIR」。実はこれ従来のEQのことなのです。もちろんデジタルで信号を処理する時の演算方法のお話ですが、アナログと同じ特性のEQを作る時にはこのIIRを使います。  

ではこの2つはどのように違うのでしょうか? この説明には、それらがどのように信号を処理しているのかが分かると理解しやすくなります。図4を見てください。この図は超簡略化した演算ブロック図です。同図(A)がIIRですが、これをよく見るとフィードバックループがあるのが分かります。ここではその部分だけを見てください。このフィードバックがあるので、例えば入力されたパルス信号はグルグルといつまでも繰り返しながら信号を出力し続けることができます。つまりインパルスの応答が無限に続く可能性があります。もちろん出力が減衰せずに無限に続くと発振状態になってしまいますので実際にはありませんが! つまりこれがIIRです。  

次に同図(B)を見てください。「−1」は入ってきた信号を1サンプル待ってから次に送り出すという遅延器で、その下にある三角形が掛け算(乗算)器、この2つを合わせて「タップ」と呼んでいます。この掛け算器では何を掛けるかというとある定数を掛けます。この定数を色々と変えることで様々なフィルターを作ることができます。このタップが幾つか並んでいますね。つまり有限個並んでいます。そしてこれらのタップをすべて通過した結果はインパルス出力をある数(有限個)作ったことになります。これがつまりFIRの「F(Finite=有限)」の意味です。ところがFIRではこのような処理をしていますのでタップは多ければ多いほどその処理に時間がかかることになり、このままではライヴサウンドにおいて使いにくいものになってしまいます。

図4  IIRとFIRの信号処理方法の違い

図4 IIRとFIRの信号処理方法の違い

図5  インパルス応答。インパルス応答を非対称にすることで遅延時間は短くなる

図5 インパルス応答
インパルス応答を非対称にすることで遅延時間は短くなる

 

タップの数は何に影響するの?

タップ数は周波数解像度にも影響します。直線位相のFIRの場合、サンプリング周波数が48kHzでタップ数が1,024タップとすると、周波数解像度は約47Hzとなります(48000Hz÷1024=46.875Hz)。この47Hzは高い周波数域では充分な解像度ですが低い周波数域では問題となります。何故なら100Hzの次は147Hzとなり125Hz等が操作できませんからね。そこで仮にタップ数を10倍の10,240とします。そうすると解像度は約4.7Hzとなりますので、これなら使えそうです。ところが先程の図4-Bを思い出してください。この時FIRでは10,000以上のタップを通るので、ものすごい遅延が発生します。ただし、これは最初に書いたように直線位相の場合です。そこで登場するのが「最小位相」です。

直線位相と最小位相

皆さんは、FIRフィルターでは「位相が変化しない!」と思っておられませんでしょうか? もちろん変化しないように作ることはできます。しかしその代わりに前述の通り大量の遅延が発生します。直線位相の時のインパルス応答は、図5-Aのように対称形になります(なぜかは「超解説FIR!」にて)。この時の横軸は時間ですが、連続しておらず間があいているので離散時間と呼ばれます。このようにインパルス応答のピークまでの時間が遅延時間となるのですが、ある変換を行なうことで図5-Bのように非対称となり、結果として遅延時間が短くなります。その代わり位相特性は変化します。これを最小位相のFIRと呼びます。最小位相とは、インパルス応答のエネルギーが時刻「0」付近に集まっているので位相の遅れが小さいという意味です。直線位相のように位相が変化しないことは大いなるメリットですが、その代償として遅延時間と最低周波数が犠牲になります。なお、タップ数が同じであれば直線位相も最小位相も最低周波数は変わらないことは先の計算の通りです。

このように現在製品化されているFIRフィルターには、大きく分けて位相は変化しないが遅延時間が大きく周波数解像度が低いものと、位相は多少変化するが遅延時間が短く周波数解像度が高いものの2種類があり、各製品は実用的な範囲でそのスペックが決定されています。

だから「AMQ3」は低い周波数まで操作できるのにレイテンシーが短い

今回の「AMQ3」は後者のタイプです。敢えて直線位相特性では無く最小位相特性としハードウェア的にも音声処理を最適化することで、短いレイテンシー(2.42msec)と高い周波数分解能(2.93Hz=最低周波数)を得ています。  

このように周波数特性の操作を最優先して素早く高精度のイコライジングをリアルタイム操作で実現したFIRフィルターが「AMQ3」ということになりますね。

データロガーシステム

さて今号でのFIRの説明はここまでにして、他の機器についてご紹介します。本システムには自己診断機能があり、不具合が発生した時に、それが「いつ、どこで、なにが」起こったかを記録(Log)することができます。それを行なうのがデータロガー「DL3」システムです(写真6)。この機器も2ピース構成となっており、調整室内に設置するデータロガーマスターの「DL3MA」と各端末に設置するインターフェースの「DL3SA」です。

監視している内容は、

・各スピーカーの出力レベルと1日の最大レベル(レベルモニター)

・機器架内温度

・電源電圧、波形異常

・各スピーカーのインピーダンス特性(専用測定モード時)

この中で今回のレベルモニター機能は200チャンネルを一度に表示しています(写真7)。スピーカーからの音が直接聴こえ難い状況でオペレートされる方はこのレベルモニターが唯一の指標となりますので、今回のように多くのチャンネルを視認性よく表示することは非常に重要な要素になります。

写真6 データロガー「HYFAX DL3」システム。今回I/Fは13台使用されている

写真6 データロガー「HYFAX DL3」システム。
今回I/Fは13台使用されている

写真7 レベルモニター画面。一度に200チャンネルのスピーカー出力を表示している

写真7 レベルモニター画面。
一度に200チャンネルのスピーカー出力を表示している

 

音響測定データ

今回、豊田市様と「ヤマハサウンドシステム」様のご協力により「豊田スタジアム」音響設備の実測定データの一部を掲載することができました。  

システムの善し悪しは実際に音を聴いて判断すべきですが、誌面上それは叶いませんので客観性のある評価という意味で本データを掲載致しました。もちろん、このデータがすべてを表しているわけではありませんが、各データは、JATET(用語解説2)が推薦している「一般的なホール」における設計目標値と比較しても大変良好であることが分かります。  

なお、今回の測定はEASERA(AMFG)を使用し、音源はPink-weighting MLSのTime-span5.5sec、Averageは4回、測定時間は30secで行なわれました。

写真8 今回の調整に携わって頂いた「YSS」と「YMJ」スタッフの方々と筆者

写真8 今回の調整に携わって頂いた「YSS」と「YMJ」スタッフの方々と筆者

写真9 今回の施工に関わられた「YSS」スタッフの方々

写真9 今回の施工に関わられた「YSS」スタッフの方々

 

STI(明瞭度指標)

STI(Speech Transmission Index)は、設備の拡声装置を用いて話し手の内容が聞き手にどれだけ正確に伝達できるかを測定し評価するものです。伝達の正確さを下げる要因は、残響音(リヴァーブレーション)やある時間より後で到達する反射音(エコー)です。測定は、MTFと呼ばれる関数を用いて、ある変調された信号が受音点でどれだけその変調をキープしているかを測定する…と書くと難しそうですが、実際の測定は「ザー」という信号が鳴っているだけで、計算は自動的に行なわれます。この評価には、「Excellent」「Good」「Fair」「Poor」「Bad」の5段階評価が用いられ、STI値との関係は表2のようになっています。

改修前後のデータ比較表を図6に示します。改修前のデータを見るとPoorと評価された場所が全測定点44か所中13か所あったのですが、改修後はすべてFair以上に改善されていることが分かります。  

前述の通りSTIは残響時間に大きく左右されますが、「豊田スタジアム」の残響時間が5秒以上あることを考えるとこのデータは非常に優秀な値ではないかと思います。また、JATETではこの測定の推薦値を明確に示していませんが、ワールドカップを主催するFIFA(国際サッカー連盟)では評価値が0.5(Fair)以上との指針があり、これもほぼ全測定点でクリアされています。

 

表2

表2
図6  STI比較表。改修前はPoorの評価が13か所あったが、すべて改善されている

図6 STI比較表
改修前はPoorの評価が13か所あったが、すべて改善されている

 

音圧レベル分布特性

これは拡声装置を使用した場合の、客席又はそのサービスエリアに於ける音の分布状態を見るために行なう測定で、この分布偏差が小さければ座席間の音量の差が少ないことが分かります。今回は2kHzと4kHzの1octバンドでのエネルギー分布を測定しています。なお、JATETによる推薦値は一般的なホールの場合ですが、4kHzにおいて10dB以内です。

表3に改修前後の分布偏差の違いを示しますが、大きく改善されていることが分かりますが、一般的なホールと比較しても充分に良好な数値が出てきます。

表3 音圧レベル分布(分散パターン)

表3 音圧レベル分布(分散パターン)

伝送周波数特性

これはいわゆる「F特」と呼ばれるもので、定常状態(音のエネルギーが空間に充満した状態)において、各測定点でのスピーカーの出力音圧レベルが周波数ごとにどのように変化しているかを測定し評価するものです。この特性はフラットであるほど良いとされますが、ライヴハウス等では音楽を楽しむことが重要視される結果、全く異なった特性になる場合があり、フラットが絶対に良いわけではありません。今回も聴感を重視していますので、必ずしも絶対的にフラットを目標にしているわけではありませんが、結果としてJATETの推薦値である125Hz~5kHzの主要帯域での偏差が10dB以内に収まっています。

測定結果は代表的なものだけですが、図7に1階席、図8に3階席のデータを示します。

図7  伝送周波数特性(1階席)

図7 伝送周波数特性(1階席)

図8  伝送周波数特性(3階席)

図8 伝送周波数特性(3階席)

 

最後に

今回は非常に大きな競技施設のシステムにFIRフィルターを使用することができました。私自身、ホールでは何度か使用した経験があったのですが、これだけ大きな空間でも大変に有効であることが実感できました。一番のメリットと感じたのは逆特性を自動的に作成する機能で、とにかく早く調整ができます。ある程度のレベルまでは瞬時に持っていってくれますので、その後の追い込みに時間を使えます。さらに、ひとつ上手く調整ができれば、それをリファレンスとして他をそれに合わせることができます。つまりEQをコピーするのではなく結果をコピーできるのです! また、今回南側と北側スタンドの合わせ込みのお話をしましたが、まさにこれはFIRならではの使い方ですね。この調整はマイクの移動も含めて30分程度で決まったのですから感動しました。  

現在、すでにFIRフィルターは特殊な機器ではありません。FIRの唯一の欠点は高価なことと操作がリアルタイムではないことですが、これも時間が解決してくれるでしょう。実際にこの「AMQ3」では波形を取り込んだ後は、リアルタイムに近い操作が可能ですからね。

今回の調整を通してライヴサウンドにおいてもFIRフィルターはもうすでに私達の身近なものになり強い味方になってくれていることを強く実感しました。

※記事中のDanteは「Audinate」社の登録商標です。

 


 

筆者紹介

三村美照(みむら・よしてる)

音響システム設計コンサルタント。1978年「スタジオサウンドクリエーション」に入社、レコーディング・エンジニアとして経験を積む。その後、業務用音響機器の設計業務を経て、1989年から「アキト」において本格的に音響システム設計に従事、現在「M&Hラボラトリー」代表取締役を務める。仕事においては「ベストを考えない、ベストとは逆に「終わり」を意味する。私たちの仕事に終わりはない」、「常により良いものを、よりシンプルに」をポリシーに「設備の音」を築き続けている。長居陸上競技場、新広島球場、サンケイホール、大阪フェスティバルホール、国立京都国際会議場、新神戸国際会館等をはじめ実 績例は100件以上と多岐多数

 


 

音響設備の知識をより深める用語解説

解説 1 FPGA
Field Programmable Gate Arrayの略で、直訳すると現場で自由に書き換えられる論理回路。HDLと言うIEEEで規格化されているハードウェア設計言語を使って論理回路をプログラミングするが、バグの修正や処理速度向上のための論理回路の書き換え等が自由に行なえるため、開発・製造期間が大幅に短縮できる。アナログ回路も組み込むことが可能でADC/DACと合わせて高速な一環処理が可能。また、並列処理を得意とすることからデジタル信号処理を得意とし、低クロックながら計算時間を大幅に短縮でき、同じ電力ならばマイクロプロセッサーの10倍以上の速度で処理が可能といわれている。最近ではCPUコアやソフトウェアプロセッサコアを内蔵して、動作中に自分自身を再構成しながら動作するものまである。音響機器で使用している機器では「Meyer Sound」の「D-Mitri」や「Galileo Galaxy」など。

解説 2 JATET
公益社団法人 劇場演出空間技術協会(Theatre and Entertainment Technology Association, Japan、通称JATET)。文化および芸術の振興と科学技術の発展に寄与することを目的として、劇場演出空間施設およびこれに関連する設備・機器の安全確保と総合的な技術向上とその普及を図ることを目的に1990年に社団法人として設立。2010年に公益社団法人に移行。
劇場演出空間施設およびこれに関連する設備・機器の安全確保と技術の向上に関する以下、3つの公益事業の遂行を主たる目的としている。

1)調査研究、標準の検討・作成及び普及

2)情報の収集及び提供

3)人材育成事業

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