ヤマハサウンドシステム株式会社

トップ対談 #01 空間創造研究所 草加 叔也 様

トップ対談 #01 空間創造研究所 草加 叔也 様

空間創造研究所 代表取締役 草加 叔也 氏(写真 左) Talks with 
ヤマハサウンドシステム株式会社 代表取締役 武田 信次郎(写真 右)

空間創造研究所 代表取締役 草加 叔也 氏(写真 左) Talks with
ヤマハサウンドシステム株式会社 代表取締役 武田 信次郎(写真 右)

空間創造研究所
代表取締役 草加 叔也 氏(写真 左)
Talks with
ヤマハサウンドシステム株式会社
代表取締役 武田 信次郎(写真 右)

「幕あい」とは、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。舞台に幕が下りている間のこと。

このシリーズでは、ヤマハサウンドシステムが日頃お世話になっているホール・劇場の世界を牽引するキーマンの方々に、市場のトレンドやヤマハサウンドシステムへの期待などをその仕事の「幕あい」に語っていただきます。

第1回は、劇場コンサルティングの第一人者であり有限会社 空間創造研究所の代表取締役を務める草加 叔也 氏にご登場願い、氏の原点やマーケットの最新動向・未来の劇場プランに対する想いについて、弊社代表取締役 武田 信次郎がお話をうかがいました。

プロフィール 草加 叔也(くさか としや)

プロフィール 草加 叔也(くさか としや)
岡山県倉敷市生まれ。劇場・ホールなど演出空間を中心に基本構想から施設計画、そして管理運営計画(指定管理者選定支援業務を含む)など劇場コンサルタントとして「銀座セゾン劇場」「りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館」「可児市文化創造センター」「国立劇場おきなわ」「兵庫県立芸術文化センター」「KAAT 神奈川芸術劇場」「久留米シティプラザ」「釜石市民ホール TETTO」などの各地の劇場施設づくりに関わるとともに、ピーター・ブルック、レフ・ドージン、ユーリー・リビュー・モフ、ピナ・バウシュ、アリアーヌ・ムニューシュキンなどによる演出作品の日本公演で、技術監督として直接上演活動に携わる。1989年には文化庁芸術家在外研修員として渡英。1997年 1月 有限会社空間創造研究所設立(代表取締役)その他、公益社団法人全国公立文化施設協会アドバイザー、千葉県文化振興財団理事、岡山芸術創造劇場(仮称)スーパーバイザーなどを務める。

芝居が好きだったから、劇場を手掛けるようになった

芝居が好きだったから、
劇場を手掛けるようになった

武田: 草加さんは劇場のコンサルティングの第一人者でいらっしゃいますが、最初はどんな経緯で劇場の世界に入られたのでしょうか。

草加 氏:もともと大学の専攻は建築だったんです。ところが、大学へ通っている間にお芝居を観たり、音楽を聴いたりしているうちに、だんだんそっちの方が楽しくなってしまいました。劇場というのもビルディングタイプとしては一応建築なので、これを研究するという名目で劇場に日々出かけていました。

空間創造研究所 草加叔也氏
空間創造研究所 草加 叔也 氏

武田:そのころはどんなものをご覧になっていたのですか。

草加 氏:演劇が多かったですね。当時はまだアンダーグラウンド演劇の隆盛の火が残っていて、テント芝居で唐十郎さんや佐藤信さん、そして寺山修司さんなどの芝居を観ていました。私は岡山出身ですがテント小屋と言うと、我が地元の木下サーカスしか知らなかったですから。これは面白いなとのめりこみました。

武田:その後卒業されてからは、どうされたのですか。

草加 氏:大学院まで行き、卒業してすぐ、劇場コンサルティングの会社を設立しました。

武田:卒業していきなり会社を立ち上げられたのですね。

草加 氏:劇場を造るので手伝ってほしいという地方自治体があったので、今思うと相当無謀だと思いますが、いきなり数人で会社を興しました。その後そこを辞めた後、劇団四季と関係のあった「劇場工学研究所」に来ないか、と誘われて入所しました。そこで7年ほど仕事をした後、1997年に空間創造研究所を設立しました。

最難関だった「キャッツシアター」と「銀座セゾン劇場」

最難関だった
「キャッツシアター」と
「銀座セゾン劇場」

武田:この仕事を始めた頃のことで、印象深いものはありますか。

ヤマハサウンドシステム株式会社 代表取締役 武田信次郎
ヤマハサウンドシステム株式会社 代表取締役 武田 信次郎

草加 氏:最初に関わった銀座セゾン劇場は、初めて1から10まで付き合った劇場だったので印象深いです。1987年でした。この時は劇場を造っている最中に、こけら落としの作品の技術監督までやれ、という話になって、ピーター・ブルックという演出家の『カルメンの悲劇』の技術監督をやりました。これが実に大変で、まだ開業前の劇場なのにピーター・ブルックが774席の客席の大部分を剥がして仮設で約600席の客席を造りたい、と言い出し、舞台の上では本火で焚き火をする、と言うわけです。それって普通無理ですよね(笑)。それを当時まだ有楽町にあった都庁に通い、京橋の消防署に日参したりして、一年以上をかけてなんとか許可を取り付けました。大変でした。

武田:最初に手掛けた銀座セゾン劇場が、今までで一番大変だったのですか。

草加 氏:いや、その前の1983年に東京・西新宿でのキャッツシアターのテント式仮設劇場の計画を手伝ったんですが、これが最難関でした。当時はまだ学生アルバイトでしたが、まったく下宿にも帰れず、6カ月も家賃を滞納しました(笑)。その時はアルバイトなのに会社の代表印をもらいに行かされたり、無理やりとは言いませんが劇場の席数を増やすために作図を繰り返したり、今になって考えるとすごいことをやらされた日々でしたが、二十歳代だったので、体力もあってのり切れました。当時は時代の追い風もあり、今までにないことが試せた時期でしたから、今になって思えば貴重な勉強させてもらったと感謝しています。

武田:「劇場コンサルティング」というものは、草加さんたちが始めるまでは、存在しなかったのですか。

草加 氏:先にお話しした「劇場工学研究所」がきっと劇場コンサルティングの先駆けだと思いますが、「劇場コンサルタント」と名乗り、それを業とするという試みについては、我々も含めて形作ってきたと思います。それまでは劇場を造るとしたら、相談相手は設計事務所しかなかったんです。でも設計者って住宅から各種ビルまで、なんでも作りますから、劇場専門というわけではないんですよ。ただ、コンサルティングという仕事は当時すでに病院にはありました。病院の動線というのは、外来患者の動線、入院患者の動線、急患が運ばれたときの動線、さらに言えば亡くなった方はこの動線で移動させるといったことまで、病院の規模や機能によって非常に複雑ですから、専門的で最新の知識や情報、蓄積がなければ設計できません。同じように劇場についても、劇場の楽屋はどこにどうあるべきか、ロビーやホワイエはどうあるべきか、トイレをどの位置にどれくらい配置するのか、お客様の動線をどうしたら効率的か、フロントサイドライトはどういう位置で投光するか、音響設備はどんな能力のものをどこに設置する必要があるか、そんなことにしっかりと応えられるノウハウを持ち、提供していくことがそれまでのホールから脱皮することが求められる時代であり、舞台に求められる機能や性能が急速に進化する時期に接近遭遇していたのではないかと、今になって思います。

街に劇場があることが誇りに思える、ということ

武田:劇場に関して、近年のトレンドなどを教えていただけますか。

草加 氏:最近は「ミッション」という言葉をよく使うんですけども、その劇場が担う使命は何かを見定めた上で、具体的に劇場をどう創っていくのかを語るのが、今の考え方です。

武田:ミッションという視点で、劇場を作る側の考え方が変わってきた部分はありますか。

草加 氏:先ずアプローチが全く異なります。かつての劇場というものは、新しい施設を建てるまでが行政の役割であって、劇場ができたら、あとは圏域住民に自由にたくさん使ってね、という考え方でした。それも5年ぐらいたつと近くに新しいホールができますよね。そうするとみんな新しい方を使いたがります。そうなると決して古くはないけれど以前に整備された劇場は困りますから、個性を際立たせるために自主事業を始めるんです。たとえば劇団四季を呼びましょうとか、海外の劇団を招聘したりとか。

武田:貸し館だけではなく自主事業を始めるわけですね。

草加 氏:はい。でも、自主事業もどの劇場もやりはじめ、同じようなものを呼んでしまう。という状況になってました。一方では、市民コーラスや市民劇団など、市民が参加できるプログラムで地域との親和性を生み出すようになっています。さらに進んだ劇場はオリジナルのミュージカルや芝居、ダンス作品など、自分たちで舞台芸術作品を創造するところまで踏み込んでいます。

武田:その作品は誰が作るのですか。

草加 氏:アーティストをレジデンスさせて創るということも試みられるようになります。例えば「りゅーとぴあ」新潟市民芸術文化会館では、金森譲さんというダンサーを芸術監督として招き、Noismというダンスカンパニーを創り上げてオリジナルの作品を発信しています。世田谷パブリックシアターでは狂言師の野村萬斎さんを芸術監督に迎えて、彼自身も作品を創っているし、場合によっては招聘したディレクターたちがオリジナル作品を創っています。そのように作品を創造し、発信する劇場も各地にでき始めている。それが本来あるべき劇場のひとつの姿でしょうね。

武田:たとえばどんな劇場がどんなミッションを持っているのか、実例を挙げていただいてもいいでしょうか。

草加 氏:私共がお手伝いした一つにKAAT 神奈川芸術劇場があります。この劇場は、国内でも高い性能を備えながら、極めて自由度の高い舞台設備機能を備えた劇場なのですが、『モノをつくる・人をつくる・まちをつくる』というミッションを掲げています。モノをつくるというのはオリジナルの舞台作品をつくる、人をつくるというのは舞台技術者やアートマネジメント人材など文化芸術人材の育成、そしてまちをつくるというのはまちの賑わいを作っていくということを意味します。舞台芸術作品の創造を通して、劇場を支える人材を育成し創造活動をサスティナブルにしていく。そしてその成果としてまちの賑わいや新たな魅力の創出、地域の価値を高めていく、それがKAAT 神奈川芸術劇場のミッションです。

武田:貸し館だけやっていればいい時代から、ずいぶんと変わりましたね。

草加 氏:最近はよく「サイレント・パトロン」の重要性が語られるようになりました。サイレン・パトロンとは、自身は地域の劇場に行ったことがないけれど、自分の街に劇場があることを誇りに思ってくれるような方々のことです。たとえば隣町の方から「世田谷区はいいですね。素敵な劇場があって」と言われると、世田谷パブリックシアターに行ったことがなくても嬉しいじゃないですか。そういう市民を増やしていく、それが今日の公立施設の大きな役割だとも言えます。劇場があることでその街に住みたいと思ったり、住んでいてよかったと思わせることで、街の価値が増す。そのためにも劇場の付加価値をどんどん大きく育てていくために、新たな情報を常に発信し続けていかなきゃいけないんです。

拡大しつつある舞台音響のテリトリー

武田:劇場における機材のトレンドはいかがでしょうか。

草加 氏:2011年に放送が全部デジタル化されましたが、そこから雪崩を打つように、デジタル化が進みました。このデジタル化が大きな変化でしたね。

武田:日本では2005年ぐらいからネットワークオーディオが始まって、Danteが出てきたのが2009年ごろ。そこから一気にデジタル化が一気に拡がってきました。

草加 氏:「劇場のデジタル化」は方向としてすでに既定路線となったので、今は逆に落ち着いている感じがします。今のトレンドとしては劇場における音響のテリトリーの拡大でしょうか。

武田:たとえば同時通訳のシステムや、携帯電話を妨害する電波抑止装置といった新しいものが入ってくると、音響の仕事の範疇になることが多いです。

草加 氏:サイネージもひょっとしたら音響の範疇ですか? 今はもうサイネージも当たり前に劇場に取り込まれていますし、今後はバーチャルも劇場のアイテムになるかもしれない。少なくともメガネをかけると字幕が見えるという、ウェアラブルの字幕装置はもう存在しますから。

武田:おっしゃるとおり、劇場の音響のテリトリーは確実に拡がっていると思います。

ヤマハサウンドシステムは、
コーディネーターであり、アッセンブラーでもある

ヤマハサウンドシステムは、
コーディネーターであり、
アッセンブラーでもある

武田:劇場コンサルティングの第一人者である草加さんが、ヤマハサウンドシステムに期待することがあるとしたら、どんなことでしょうか。

草加 氏:私はヤマハサウンドシステムという会社は、音響設備の工事業者だとは思っていません。まずはコーディネーターだと思っています。それからアセンブラーだと思ってる。そしてその結論として、実際の工事もするわけです。

武田:建設業法的に言うと、ヤマハサウンドシステムは電気通信工事業なんです。ですが工事ができるから仕事をいただけているのか、というとそれだけではなく、前輪がコーディネーター、アセンブラーとしての力であって、後輪が工事であり、前輪がしっかり回るからこそ後輪も回るのだと思います。さらに必要であれば「HYfAX」という自社の製品を作ることもあります。工事会社でありながら、ものづくりをするメーカーの側面も持っているのはちょっとに特殊な会社だなと思います。

草加 氏:そこで私がヤマハサウンドシステムさんに期待するのは、膨大な知識に裏打ちされた提案です。たとえばスペースがないところに機材を入るにはどうしたらいいか、ミキシングコンソールは動かすかもしれないから移動しやすいものがいいかもしれない、など最良のソリューションを提案してくれること。もしヤマハサウンドシステムが、いつもヤマハのスピーカーとヤマハのアンプとヤマハのミキシングコンソールを持ってきて、これでどうですかって言うのであれば「帰って」って言う(笑)。我々が求めていることに対し、どこの製品であろうとフリーハンドで最良のソリューションを提案してくれること。それを期待しています。そして、最良のソリューションを提案するには、膨大な製品情報を持っていないといけないと思います。たとえば海外の製品であれば私たちでは確実な情報が得られないし、もしそれを使うとしても、ちゃんと輸入できるのか、日本の環境で機能させられるのかというところまで含めて見極めるのは難しいです。

武田:おっしゃるとおりで、そのために私たちはメーカーの勉強会にも行っていますし、メーカーの方に来てもらって勉強会もしています。そうして知識を深めていかないと、なかなかご要望にお応えできない時代になってきていると思います。

草加 氏:それから世の中の趨勢、次のデファクトスタンダードを読むような力も必要です。ヤマハサウンドシステムさんの場合、親会社がヤマハという音響機器をリードするメーカーであり、そこで次世代を見据えたミキサーや音響機器を作っているわけですから、アドバンテージがあるように思います。

武田:たしかにヤマハは常に数年後を見据えて継続的に製品を作っています。その製品計画から今後の音響機器の方向性がわかります。たとえばDanteについても事前に勉強ができたわけです。

草加 氏:そういう意味でもヤマハさんは安心できるパートナーです。

人々の記憶に残る劇場こそが、作る価値がある

人々の記憶に残る劇場こそが、
作る価値がある

武田:今後劇場作りでどんなことが大切になってくるのでしょうか。

草加 氏:今求められているのは「誰もが来られる広場」であることと、それからさっきも言いましたが、劇場があることが、その地域の人にとって誇りに思えること。それからもう一つ、個人的な願望を言えば、あそこでいいお芝居を観たな、とか、あそこで以前発表会をしたな、というように、その人の記憶に残る劇場というものは、創る価値がある劇場だと思っています。

武田:最後に、今度どんな劇場を作っていきたいとお思いでしょうか。

草加 氏:劇場っていうものは、いろんなものを飲み込んで、どんどん変化していますから、具体的な「これが理想の劇場」という形はないですね。でも実は、私は劇場コンサルをやっているより、実際に劇場の客席に座っていることの方が好きなんです。だから自分が座ってお芝居を見たり、音楽を聴いたりして、その一日を楽しめたと思える、“記憶をつくる”ことができる劇場が理想です。

武田:今日はお忙しいなか、お時間をいただきありがとうございました。

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